⛰樂圓寺の紹介・年中行事

【真宗大谷派 雲晴山 樂圓寺】

(しんしゅうおおたには うんじょうざん らくえんじ)
愛知県豊田市(旧足助地区)の山寺です。その歴史は不明な点もありますが、開基 明善が文亀3年(1503年)にご本尊を賜り、その後お寺が建立されました。現在の本堂は嘉永三庚戌(1850)年3月8日に再建。
建立以来、聞法道場として開かれています。

【お寺の使命】

✿つながってきたいのちに感謝し、亡くなってからも見守ってくださる大切な人の恩を確かめる場を提供します。

✿生きていく中での心のきずの絆創膏となり、きずから創られる日々の営みの伴走者となります。

✿過去・現在・未来を結び、地域とのつながりを大切にするとともに、つないだご縁を共に育むお寺を目指します。

【年中行事】

✿修正会1月1日〜3日 ✿春季彼岸会・永代経3月春分の日 ✿盂蘭盆会8月13日〜15日 ✿秋季彼岸会・永代経 9月秋分の日 ✿報恩講12月第3週土・日曜日 ✿お煤払い12月2日 ✿歳末昏時12月31日16時 ✿除夜の鐘12月31日16時~ ✿おみがき(適宜)✿草刈り(随時)✿東本願寺団体参拝や奉仕団(別途企画します)

【連絡先】

〒444ー2353  住所 愛知県豊田市田振町東入128

meil :taburirakuenji@gmail.com  Tel/Fax: 0565ー62ー0657



【アクセス】

🍁紅葉の名所 香嵐渓まで約3キロ
【名鉄バス】
東岡崎⇔ 田振約60分/豊田市⇔田振約40分/足助⇔田振約10分
【車でお越しの場合】
<関東方面から>
東名高速道路 『豊田JCT』から、東海環状自動車道 『豊田松平IC』下車、(ETC付き普通車の場合は、鞍ヶ池スマートIC下車)、県道39号を経由、国道153号を飯田方面へ約11キロです。
<関西方面から>
東名高速道路 『名古屋IC』下車、猿投グリーンロード終点 『力石IC』下車、国道153号を飯田方面へ約6キロ。所要時間20分
足助方県道39号線にある大きな目印です。この前には雲晴橋があります。
足助方面、国道153号線から来られた場合の上がり口
岡崎方面、豊田松平インター、鞍ケ池インターからこられた場合の上がり口

【雲晴山の縁起】

今から二百数十年前の頃、田振の楽円寺にある住職が勤めていた。時々山門に立っては、ぼんやりあたりの美しい景色を眺めて楽しんでいた。
ある雨の日、いつものように山門に立って眺めていると、下を流れる巴川の谷間からふた筋の霧が立ち昇るのを見た。すると間もなく雨が止んで青空が出て来た。
不思議なこともあるものだと、それから雨の降る日には、山門へ出て谷間を見ることにした。が、決まって霧が立ち昇ると雨が止むのである。
ある年、梅雨の長雨で近郊の人々は困り果てていた。
住職は毎日山門に立って谷を見ていると、霧がふた筋昇り始めた。
住職は鐘をついて村人たちを集めた。何事だろうと集まってきた村人たちを前に住職は「村の衆、もう心配はいらぬぞ。明日はきっと晴れるぞ。」と教えた。
村人たちは半信半疑で家に帰ると、不思議なことに長く降り続いた雨もいつしか止んで、翌朝はすっかり晴れ上がってしまった。村人たちは寺に集まり住職さんに訳を聞いて、この寺の山号を雲晴山と付けた。
田振橋の架け替えの時、橋の命名にあたってこの由来にちなんで雲晴橋とした。【豊田市足助資料館より】

【地名 田振の縁起】

追分交差点から川下に行くと、「田振」というちょっと変わった地名があります。中馬街道を通じて信州へ足助塩として送られていた頃のお話です。

足助塩は、三河湾の塩の産地から船で矢作川をさかのぼって松平の九久平の船着き場にあげられ、ここから馬の背に載せて足助まで運んだものである。

道は幸海、霧山、則定、大島と山の中を通って大島でようやく岸に出た。

川に沿ってのぼいってくると田振のあたりで山が川岸まで迫って、馬がやっと一頭通れる道の広さしかない。

もし途中で行き会おうものなら大変。進むことも下がることもできない。

そこでこの難所にさしかかると前方を確かめ、手を振って進めとか待ってという合図をしていた。

「てふり」がいつしかなまって「田振」になったという。【豊田市足助資料館より】

【平和納骨仏塔(納骨堂)】

1959年(昭和34年)、平和納骨仏塔として樂圓寺境内に納骨堂を設けました。樂圓寺とご縁のある方はお納めいただけるようご案内しており、いつでもお参りいただけます。納骨に関することは、お寺へお問合わせください。

【ともえ観音縁起】

楽円寺には立像観音が平和納骨堂に安置されている。第2次世界大戦が終わった頃、今朝平橋のたもとにある炭問屋三忠商店宅へ50歳前後のみすぼらしい男が立ち寄った。
男は「左甚五郎の7代の末孫で彫刻師だが、路用も使い果たして宿に泊まることができない。何か彫らせてもらえまいか?」と頼み込んだ。
主人の峰松さんは、あまり信用もできなかったが、「まあ2・3日泊まって、何か彫ってみなされ。」と招き入れて一室に世話することにした。
男は大変喜んであてがわれた部屋にこもって、せっせと彫刻を始めた。すこぶる名手とみえて近所の者もその出来栄えに感嘆したという。
数日たって仕事を終えた旅の男は、長い間お世話になったお礼にと持ち歩いていた一体の観音さんの木像をさし出した。
峰松さんは「お世話のお礼は、家で彫ってもらったもので結構。では路用にこれを。」と相当のお金を渡して観音様を買い付けた。さしあたり適当な場所もないので、部屋の片隅に置いてお祀りすることにした。
ところがどうしたわけか、次から次へと病人が絶えない上に、不時の災難もあって、重ね重ねの不幸に悲しみに沈んでいた。
折々にこの観音様が枕もとに現れては、淋しそうな様子で夢が覚めるので、「ああもったいないことだった。さぞ尊いお像であろう。こんな立派な観音さんを私有にして部屋の片隅に置いて、御無礼をしているせいではないだろうか。」と気づいて、すぐに手次ぎ寺である楽円寺に行って、住職と相談して立派なお堂を立ててお祀りすることにした。住職はご門徒に寄進を求めて戦争で亡くなった方々を祀る平和仏堂を建立。ともえ観音と称えて安置したのである。

【墓地】

樂圓寺ご門徒のために墓地を設けており、いつでもお参りいただけます。
お墓に関することは、お寺までお問い合わせください。電話0565-62-0657

【門信徒会館】

報恩講や春秋彼岸のお斎の場、お寺の役員会の場などに利用されています。もっともっと有効活用される場になればと思っています。

鐘楼堂

法要の1時間前に集会の鐘として突かれます。

また、12/31には除夜の鐘が撞かれます。どなたでも撞いていただけますよ。【毎年23時30分から0時30分頃まで ※無料】

【樹齢500年のカヤの木】

市指定(1978年3月25日)天然記念物です。たくさんの実をつけます。南側に80℃傾いて、枝下4mは幹の随所にコブがで古木を物語ります。樹上にスギ・南天・ミヤマノキシノブ・テイカカズラが着生。
豊田市郷土資料館だよりによると樹齢500年(推定)、樹高16m、樹周4.1m、下枝高3.15mだそうです。

【報恩講】

○報恩講に持ち寄った野菜などでつくられるお斎です。よく味の沁みた大根と油揚げは絶品
※2020年新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、お斎を中止しました。
また2021年5月、門徒総会においてお斎のあり方について提案がありこれまでと同じような準備のあり方を改めることになりました。
今一度、お斎の意味、準備のあり方について考えていきたいと思います。
○報恩講に荘厳される須弥盛華束はみんな手作り。法要が終わるとお下がりを分けます。
焼いて砂糖醤油をつけたり、お汁粉に入れると美味しい。
※2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、お華束作りを簡易に行いました。
延ばして、型抜きして、乾かして
報恩講の仏花は松華講に立てていただいています。http://jodo-shinshu.info/2017/04/13/9131/

【記録】

1850年(嘉永三庚戌)年3月8日
本堂再建
1955年(昭和30年)
『念佛行者大道さん』発行 大道会
1959年(昭和34年)
平和納骨仏塔
1972年(昭和47年)
本堂修復工事
1974年(昭和49年)9月21.22.23日
宗祖親鸞聖人700回御遠忌法要
2006年4月
本堂修復法要

【歴代住職】

開基 釋明善 天文二十年 1551年 76才
右明善より正西ニ至ル七十年計堂守世代不詳、平家長田の末葉永井三十郎正信
天保十二年 1841年〈辛/丑〉迄二百九十一年ニ成ル
文亀三年 1503年亥三百三十九年
2代 釋正西 延宝四年 1676年  78才
3代 釋祐誓 元禄十一年 1698年 80才
4代 釋正伝 享保八年 1724年 58才
5代 釋恵春 安永七年 1779年 85才
6代 釋梅山 宝暦十三年 1763年 38才
7代 釋諦了 享和二年 1802年  66才
8代 釋敬道 享和三年 1803年 30才
9代 釋秀道 弘化元年 1844年 71才
10代 釋念道 嘉永四年 1851年 30才
11代 一行院釋大道 明治三十一年 1898年 83才 昇道ノ継父性殊酷
12代 釋昇道 明治二十九年 1896年 47才 境内に石碑あり。第20代講師・雲英晃耀の門弟となり、真宗高倉大学寮寮司
17代 香華院釋孝道 昭和三十一年 1956年3月9日
18代 恵見院釋孝澄 昭和二十年 1945年1月8日 孝道長男
19代 徹照院釋雲晴 平成十六年 2004年7月31日 81才 孝道四男
20代 推算院釋道温 令和4年 2022年9月24日 73才 雲晴長男
21代 釋道文