【2022年1月のお寺の掲示板】
問いほぐす
哲学者・倫理学者 佐藤邦政
「問いほぐす」聞きなれない言葉を『同朋新聞』2022年1月号で発見した。
子どもは、さまざまなものに好奇心を持って「これなあに」「どうして」と無心に自分の周りにいる人に声をかける。大人になると、さまざまな知識があるため、質問が適切かどうかといったことに重点が置かれてしまい、なかなか本当の問いが出てこない。
確かにその通りだと思った。
まともな質問ができているか?話が理解できているように見えるか?話がりかいできていたかな?
そんな自分がどう見られるかといった自分向きの矢印に埋没して、質問できなかったりする。
本当の目的は知ることだったり、コミュニケーションだったりするのに、目的を果たせていないなと。
「たくさんの問いを出して「問散らかす」ことであったり、その人の言葉で語られるということに価値がある。」
「学ぶとはただ正解を知ることではなく、なぜそれが正しいと言えるのかという理由や根拠を説明できるようになること。正解に行きつくまでのプロセスが大切だと思っています。」
と語られます。そして、
「一つの問いの中に、たくさんの問いが隠れているのです。そこで絡まった糸をほぐすように、問いをの中に、たくさんの問いが隠れているのです。そこで絡まった糸をほぐすように、問いを小さく小さくして、一つの前提を疑う。その中に隠れている問いを見つけていく。そんな「問いほぐす」作業を通し、あらためて最初に立てた問いを自分の言葉で捉えることができます。」
答えがあるだろう、すぐ答えが欲しい。考えることがじゃまくさい。そんなことばかり求め、考え、行動している自分が振り返えられる。
YESかNOか二元論に陥らず、一旦立ち止まる。そして、このことについてと小さく切り取って考えてみる。また考えてみる。で、全体としてどうか、この部分をこうしてみたらよいのではないかと前向きに考えてみる。
絡まった糸をなんとかしたいと、むやみやたらとひっぱると、余計に絡み合い、固く縛られてかえってほぐすのに時間がかかる。
手をとめて、全体を眺めて考えてから始めたい。
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