【2023年1月お寺の掲示板】
生死一如
「しょうじいちにょ」仏教の言葉です。
【生死一如】
生きるということは、「死のある生」を生きているというあるがままの姿を教える言葉です。
一如とは、2つに分けられない異なることのない真実そのものを意味します。
「死の無い生」ではなくて「死のある生」だということは、人の死にあって知っているはず⁉️
しかし、死を恐れ、死を嫌い遠ざけて見ないようにしています。
「死の無い生」、自分は死なないふりをして生きています。
新年をお迎えしました。本年もよろしくお願いいたします。年末から年始にかけての出来事をお伝えしたいと思います。
樂圓寺報恩講を12月16〜17日※毎年第3土日 にお勤めさせていただいた後、12月26〜28日にかけて東本願寺で住職修習を受けました。
住職修習とは、真宗大谷派寺院の住職に就任するために必ず受けなければならない研修で、
●講義(同朋会運動の願いと帰依三宝の精神・真宗寺院の使命と役割)
●座談
●過去帳閲覧禁止
●ワークショップ(宗門の状況と寺院の活性化に向けて)
●装束・出仕の作法
●宗教法人ー寺院・教会の社会的責務ー
●合同座談
で構成されています。他の宗派との違いといして、僧侶・門徒で研修を受けることがあるそうです。
快く引き受けてくださった会長の成瀬弘道さん、副会長の大河原弘吏さんありがとうございました。
成瀬さんは帰敬式を受けられました。
12月末、7時から勤まる晨朝はとても寒かったし、日程に余裕はあったものの慣れない生活は家というものの有り難さを感じたと大河原さん。
親鸞聖人教えとはどんなことか?、12月20日のお煤払いに興味が湧いたとのこと。
講義では知識ではない姿勢が大事であるということ(誠を感じる)
真宗の教えに生きること、
生死を問題にする、語るということ
再出発の連続、出発点を確かめ続ける歩み
ここに道があるよというのが教化、そのためにはこの道に立ってなくてはならない
人生を受け入れる道が仏道
生々溌剌と生きる
帰依三宝・・・如来、如来の教え、如来の教えを聞く仲間
真面目さで人生を求めても生死を超えられない
人間は自分のためにしか生きられないようにできている
本当の自分を知りなさい。その一つひとつを知りながら、最後の一息が終わるまで続く歩み
歳をとることは、あてが外れていくことだ
いのちが生まれ、生まれては死に、生まれては死に、沢山の欲を抱えながら生きている
日常で宿業の身がこぼれ落ちてくる
生死を問題にする。それを軸として道を歩んでいきたいと思います。
12月31日は除夜の鐘23時30分を歳末の鐘として16時からに変更しました。
理由は、子どもも来やすい時間、坂がこうらない時間であること。
全体で20名ぐらい、子どもが10名ぐらいお参りいただけました。
まず、本堂で正信偈をお勤めの後、煩悩の話をさせていただき、会長・副会長の挨拶。
お彼岸などで持ってきてくださった、大事だけど自分で捨てられないものをお焚き上げのような形で焚べて暖をとりながらの鐘撞き。
初めて撞く子どもの優しい音も新鮮です。だんだんみんな上手に撞けるように陽になっていきました。
1月1日は修正会、年頭挨拶と掲示板の書き初め
1月2日も修正会、年頭挨拶
年末年始、この世の縁が尽きお亡くなりになられたとの連絡をいただきました。
【2022年12月26−28 住職修習集合写真】
【2022年12月住職修習日程】
【2023年1月1日初日の出】
【2022年12月31日16時 歳末の鐘】
SNSを見てきて下さった方もいましたよ。
今年の歳末の鐘にの時は紐を交換しよう。しかし夕焼けが綺麗だ。
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