【2021年4月お寺の掲示板】
言葉は 不在を埋める 装置である 山極 壽一
元京都大学総長 山極壽一さんは、「言葉は不在を埋める装置である」と講演の中でおっしゃられました。
それは、人間の話は実に8割は噂話。その場にいない誰かのことを話しているからだそうです。
そして、山極壽一さんが研究するゴリラ、そしてサルでは一度群れ=元の集団から離れると戻れないとのこと。それは、人間のように「不在でも在る」っていうことが成り立たないからだとか。
実際に、アフリカと京都の研究室を行ったり来たりされていた山極壽一さんでありましたが、アフリカの現地の方々は忘れていなし、どうしているのかと山極壽一さんのことを噂し、久々に京都からアフリカに帰っても、ずっと一緒にいたかのように輪に入れたとのこと。
言葉があるから人と人をくっつけるし、移動・分散ができる。
人が亡くなった時でも同じではないでしょうか?亡くなってからもその人の話は出てきますし、その人を思うときには一緒にいるような感覚が湧いてきます。その人を思うときには私の現在と過去をくっつけるし、その人の思い出や教えてもらったことを使って遠くで話をしたりします。
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