【2022年8月のお寺の掲示板】
鷲田清一さんは言います。
本当の「待つ」ではないことの一番の例は、「期待して待つ」ということ、これは、じつは「待てない」ことなんですね。言い換えると、「期待して待てば、人の視野はどんどん狭くなっていく」ということなんです。
「期待して待つ」とそれで意識が覆われてしまって、空回りし出す、余裕が全くなくなる。これが、何かを「期待して待つ」人が、視野狭窄になっていくということ。
一方、視野狭窄を上手に使う人もいるそうで、瀬戸内寂聴さんや吉本隆明さんが「年をとると、幸福を小刻みにしないといけない」とおっしゃるそうです。
例えば、「今夜の晩ご飯に好きなおかずが出るだろうか」と。
思っていたものが出てきたら「ああ、幸せだ」と思えばいい。それ以上のことは考えず、小刻みに小刻みに幸福を考えて、いろんな幸福感を絶えず味わっていくようにすれば、それが一番よい老後になるのではないかということだとか。
そして、「期待せずに待つ」ということは、たいへんにしんどい。そのいちばんしんどいことを職業にされている方が、精神科医、カウンセラー、教師、ボランティアで命の電話を受けていらっしゃる方など、「聴く」ことを仕事にされている人たち。
誰かに話を聴いてもらうと、ふっと気が楽になることはあるが、なぜ「聴く」ということに、そんな「人を楽にする」力があるのか。その方法としては、語りきってもらうことが重要といいます。
自分のふさぎ、悲しみ、苦しみについて、なぜ語りきらないといけないのかというと、ふさぎや苦しみとの関係を変えるためなんです。昔のできごと、今のできごと、昔の思い、今の思いを並べ、それをある程度の因果関係をつけながら整理して語る。それが、しんどいこと・苦しいことにおぼれていた自分がその苦しみとの関係を変えること、つまり、対象化して、自分から引き離して、物語として語るということなんです。だから、自分で語りきらないと意味がないと。
自分が整理して語りきる(語りきることができるようなタイミングが来る=訪れ
なんでしょうね。
そして最後に、「待つ」「聴く」ということは、自分の一番大事な時間をいつでも他者にあげる用意があるということと結ばれました。
なかなかできないこといです。テンポよく話をしてほしい、要点が何なのか?、長い話はいやだ。そんなこばかりに気持ちが向かってしまいます。
掲示板に載せてる言葉は共感するけど、その通りにできてないことを確かめて自分に残しているような気がします。
待つ・聴くは自分の一番大事な時間をいつでも他社にあげる用意があるということでした。
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