東大島のお墓仲間のお参り 2023年8月19日

今日は東大島のお墓仲間のお参り。
新型コロナの感染拡大で2020年から行われていませんでした。そして、今日3年ぶりの開催となりましたが、最後のお参りでもありました。
このお参りの始まりは、出納台帳によりますと、昭和13年(1938年)まで遡ります。
きっかけは定かではありませんが、山の上にお墓があって、草刈りなどを共同で行うこと。
また、法名軸があって毎年の持ち回りで家をまわりお盆の8月14日の晩にお内仏で一同に会し、そこに楽円寺住職が導師としてお参りをする。ただし、お墓仲間の家の誰かが亡くなったときは、その家で8月14日にお参りをします。
お墓仲間のには浄土真宗以外の曹洞宗のお家も含まれていて、地域が主体の集まりです。


お墓は山の高いところにあることから、近年お参りが大変なことから、お墓を下ろすお家が増え、かつての場所にあるお墓も少なくなってきたことから、今日が最後ということになりました。

始まるまえに、法名軸に去年亡くなった方の法名を記載して、本堂の余間に奉掛しました。
数えると241名の法名が記載されていました。
元は16軒のお家の集まりです。
お供えもあります。


合掌
伽陀、表白、阿弥陀経、正信偈同朋奉讃、
御文、法話、だんらん

今後、お盆に法名軸を安置すること、また亡くなられた方がいらっしゃった場合は、法名軸に記載続けていくことを確認して約60分のこの会は散会となりました。
まだ、過去の記録を十分確認できてないので、歴史が分かれば追記したいと思います🙏


お墓の始まりは、約2300年前のお釈迦様の涅槃入滅の際にさかのぼります。
お釈迦様は、自分の葬儀は在家の信者に任せると言い残した為に、荼毘にふされた後、お骨を仏舎利塔に納め仏教信者に崇められ、護られたのがお墓の始まりです。
このお墓にたくさんの弟子たちが集まりお参りしたのは、お釈迦様の遺徳にすがり、依存した生活を送るためではありません。今もなお釈迦さまは、私たちに仏法を説いて下さる、つまり今現在説法(こんげんざいせっぽう)を共に聴聞する場がお墓でありました。
浄土真宗の墓の在り方も同じです。親鸞聖人が亡くなられてお骨を京都の大谷の廟堂に納め、関東の門弟が支援し、聖人の血脈が聖人の廟堂を護る留守職(住職)となり、その廟堂が今の本願寺の基になったわけです。つまりお墓が当初の聞法道場の基礎を成し、今は本願寺が聞法道場として受け継がれてゆき、阿弥陀仏のみ教えを、親鸞聖人と共に聴聞する場となったわけです。
お墓は、2300年前から仏法を聴聞するための象徴であり、遺骨を通して聞法道場の役割を担う大切な場であったのです。

雲晴山樂圓寺

愛知県豊田市田振町(旧足助町)にある、🌲山あいのお寺です。宗派は真宗大谷派(東本願寺)です。1503年本願寺第9代実如上人にご本尊をいただいたのがお寺の始まりで、現在の本堂は、嘉永3年庚戌(1850)年3月8日再建。ロゴマークは市指定天然記念物のカヤの木の葉と実、真ん中にイチョウの葉をあしらったもの。名古屋造形大卒の門徒に何種類かデザインいただき、2019年秋彼岸に門徒による投票で決めました。

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